こんにちは。
The COMP_US(ザ コンプアス)ららぽーと愛知東郷店です。
PENDLETON(ペンドルトン)の歴史や使用用途など紹介したいと思います。
こだわった内容となっておりますのでお時間ある時にお楽しみください。
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PENDLETON(ペンドルトン)はアメリカの良心」と称えられ、150年以上もの間アメリカンスタイルの標準を作りだし続けてきました。
6代にわたり家族所有されてきた会社で、アメリカの遺産、正統性、織物職人の技にこだわり続けています。
Pendleton Woolen Mills (ペンドルトン・ウーレンミルズ)社は、原羊毛から糸を紡ぎ、染色、生地織り、製品作りまで、一貫して伝統的な行程により全て自社工場で製造しています。
アメリカの歴史・文化と共に歩み、数々の名品を生み出してきたその歴史は、アメリカを代表する製品と共に称えられています。
特徴その1:タオルと思えない高級感
ジャガード織の為、表裏で異なる質感になります。
表地はベロア調で高級感溢れる仕様です。肌さわりがよく肉厚でタオルっぽくないタッチ感です。
裏地は通常のタオルによくあるループ織りになっています。
特徴その2:多用途できるサイズ感
ジャガードバスタオルオーバーサイズのサイズは約178×102cm。重量:約900g。
通常のバスタオルよりは大きく、大体たたみ一畳分(中京間)182×91cmに近いサイズ感となります。
キャンプやインテリアとして大活躍するサイズ感です。
使用例:タオルケット、敷物、ひざ掛け、肩掛け、ソファー敷き、コットマット、テーブルクロス、チェアマット、インテリアとしてなど
特徴その3:洗濯機で洗えるイージーケア
ジャガードバスタオルオーバーサイズの素材はコットン100%なので汚れたら洗濯機で丸洗いできます。
洗濯機で丸洗いができない一般的なレジャーシートや、手入れに気を使うウールブランケットと違って洗濯機で洗えるのはケアが楽です。
肉厚な作りなのでへたることもありません。
特徴その4:豊富なラインナップ
毎シーズン新柄がリリースされ、1シーズン25-30種類ほどの展開があります。
人気の柄は複数色で展開があり、選ぶ楽しさや組み合わせる楽しみもあります。
特徴その5:最初に洗うと小さな毛が大量に抜ける
マイナスポイントとして、最初の2回くらいは洗濯時に小さな毛がたくさん抜けます。
乾燥後は掃除機でまとわりついている毛を吸引した方が良いです。
使用前に2回洗濯してから使う事をオススメします。
●CHIEF JOSEPH(チーフジョセフ)
チーフジョセフとは、北米の北西部かつてのワロワ地方(現在はオレゴン州です)に実在したインディアンの英雄で、彼のその思考や行動からインディアンのみならず、白人からも支持を得ている人格者であります。しかしそのように呼ばれるまでには数々の苦難を超えることとなります。
まずこの話しに上がるチーフジョセフは先代から名前を受け継いだ2代目です。
初代は先住民族でありながら他の民族とは違い、白人社会との長い信頼関係を紡いできた当時ではとても珍しい一族でありました。
父の教えの元、2代目ジョセフも平和主義の思想を持ち育ちます。
初代ジョセフは先祖から受け継いだ広大な土地を政府に奪われ辛い経験を受け、初代ジョセフが亡くなる間際、息子ジョセフにはこれ以上土地を渡してはならないと言いこの世を去ります。
初代が2代目に伝えた言葉「この土地がある限り父親の肉体は不滅だ。お前の父や母の骨を決して売り渡してはならない。」
以降しばしの平和な時が続きますが、1873年地方に金鉱探しが押し寄せたことをかわきりに政府は2代目ジョセフ率いるネスパース族に居住区をアイダホ地方に移れと迫ります。
しかしこれを拒否したジョセフや他酋長はアメリカ政府のハワード将軍より戦争しなければならなくなると告げられます。
当時の両者の背景はわかりませんが何とも一方的な展開です。
民族たちが「戦争だ」と殺気立つ中、ジョセフだけは一環として戦うべきではないという姿勢を崩しませんでしたが、その勢いを抑えられずついにはアメリカ軍兵士数名をあやめてしまい、結果として民族の大移動を始めることとなります。
長年の大移動はついには1900㎞(オレゴン→ワシントン→アイダホ→モンタナ)に及び、その間もアメリカ軍の追撃に傷つき遂に1877年降伏を決意します。
その時の2代目ジョセフの言葉は今も語られています。
2代目ジョセフ「太陽が昇るかぎり、わたしはもう永遠に戦わない」。
その文を読んだシャーマン将軍は「彼こそ赤いナポレオンだ」という言葉を残しています。
その後も先住民族の待遇改善や平等性を訴え続け、その行動は多くの人々に影響を与え続けました。
父の教えを守り、戦わず平和を主張し続けたジョセフをイメージしたものが昨今のペンドルトンを代表するあのチーフジョセフ柄です。
このように歴史に名を遺すインディアンの英雄をイメージしたものであるからこそ、歴史の重みや伝統を感じることのできるチーフジョセフ柄は今も人気があるのです。
●HARDING(ハーディング)
1923年にウォーレン・G.・ハーディング大統領とその夫人であるフローレンスが、オールド・オレゴン・トレイルの除幕式のためにオレゴンを訪問。
式典では、その地方のカユース族のキャップ・サムキンズ酋長とウマティラ族のポーカー・ジム酋長が、ファーストレディへ彼女の嘘偽りない、歯に衣を着せない人柄を表した新たなデザインのブランケットを贈呈。
1926年に『ハーディング・ローブ』と命名された。
当デザインは今現在も当社の工場で生産されるローブの中でも人気の高いデザイン。
●CANYONLAND(キャニオンランド)
米国ユタ州にあるキャニオンランド国立公園の美しい砂岩の尖塔群の通景を描写したもの。
日光がその深い谷肌を踊り照らす際に放出される自然のブルー、ピンク、レッドなどの美しい色をネイティブ・アメリカンからインスパイアされたパターンに落とし込みました。
デザインそのものは古くから工場に保管されてあったのを偶然発見したもの。
1863年にアメリカで自らの手で育てた羊からウールを生産するというビジョンを持ったトーマス・ケイという若い英国人織職人がおりました。
特に理想とする土地があったわけではないケイは大西洋沿岸を下り、太平洋を上りながら理想的な土地を探す旅に出ました。
4カ月後、ケイはアメリカ最新の州であったオレゴンへ立ち寄りました。
そこに腰を落ち着けた彼は家族運営の工場を作り、長女であったファニーにノウハウを伝授し、後にその商売を彼女へ譲りました。
1893年に開業した最初の工場設立からアメリカ先住民との交易構築までファニーは父の遺産を増進させることに成功しました。
父が彼女にしたように、ファニーもまた1898年に家族の伝統を3人の息子たちへ譲りました。
それから一年も経たないうちに新たなウール仕上げ部門が稼働し、最初のウール製品の取引が始まり、こうしてPendleton Woolen Millsの基盤を構築し、今日に至るまでトーマス・ケイとその家族が築き上げたウールやテキスタイル革命の伝統は全てのPendleton製品の基礎となっております。
Pendletonは繊維から生地に至るウールビジネスに対する密接なノウハウの上に構築されております。
ウール衣類であろうが、ウール生地であろうが、ウールブランケットであろうが、その全てにPendletonが100年もの間に蓄積してきた経験値、想像力、そして品質への徹底した拘りが織り込まれております。
Pendletonの原毛は生地へと生まれ変わる前に加工が施されます。
その後、原毛はホームやファッション製品、メンズやレディースのアパレルやアクセサリーへと織り上げられていきます。
牧羊者との直接取引や川上製造によりPendletonが自ら各製造工程をモニタリングし、各工程における品質や価値を維持する事が可能となっております。
ウール製品は企画の段階である程度の形が形成されます。続くステップは原毛の購入です。
Pendletonウールのバイヤーは世界各国の市場から調達しますが、依然として大半はアメリカ国内で調達されております。
多様性、品質そしてウール繊維の含有量は最高のPendleton毛織物を製造する上で必要不可欠です。
続いての工程は生地の製造です。Pendletonはオレゴン州、そしてワシントン州に自社の織布工場を操業しております。
アパレル生地として名高いPendletonではありますが、同様に室内装飾品や家財道具用の生地を生産している事でも知られております。
生地製造には染色、カーディング、紡績、織り、そして仕上げなど、実に多くの工程が含まれております。
Pendletonの最新染色技術は水、染料、熱そして圧力流をコンピューターが管理しており、その結果として素材の一貫性や色を完全に複製する事が可能となっております。
カーディング工程では紡績前に繊維をすいて方向を整えます。紡績中、繊維は引き伸ばされ、捩じられる事で毛糸を形成します。
その後、高速の織機が毛糸を絡みあわせる事で織布へと加工されます。
ウールが持つ独特のフェルト特性により、織布は制御された伸縮の為の工程を経る事でより柔らかく、そしてコンパクトな生地へと生まれ変わります。
その後、洗濯、剪毛、プレス、ナッピング、そして検査を経てから完成品として仕上げられます。
生産サイクルの最終段階でブランケット生地は裁断され、正真正銘のPendleton家宝として完成します。
1909年以来、Pendletonはアメリカ先住民向けにアメリカ先住民ブランケット、ローブ、そしてショールを製造し続けて来ました。
Pendletonはネイティブ・アメリカンの人々と今も深くつながっております。
創業当初より、パターンデザイナー達は先住民向けに彼らの伝統、神話学、そしてデザインの趣向について特に真剣に学びました。
初期の頃にはジャッカード織りの天才と呼ばれたジョー・ローンズレイはオレゴン北東部の部族と共に過ごし、彼らの色やデザインに対する趣向を理解する事に努めました。
そこから彼は先住民族より集めたアイディアを伝統的な織り方では表現できない様な躍動的な配色や、より詳細なパターンなどを、最新技術を使ってブランケットデザインへと変換しました。
毛織工場技術が導入される以前は、伝統的なブランケットは皮革或いは小動物の毛皮などを縫い合わせたもの、羊毛から織ったもの、羽、ダウン、樹皮とコットン、地域によってはヒマラヤスギを切り刻んだものなどから作らておりました。
そのうちに、ウールブランケットが持つ耐久性が注目され、交易上の価値が高まりました。
更にはそれが色鮮やかであればあるほど高値で取引されました。
初期の頃に取引されたブランケットの多くがブロックデザインやプレードであった事から色鮮やか且つ細かいディテールを施されたジャッカード織りのブランケットはたちまち先住民族の間で人気となり、日々の生活や儀式にも使われるようになりました。
ナバホ作家であり、アーティストでもあるレイン・パリッシュはこれらの非常に大切なブランド商品の文化的な意味合いに関する文献を数多く書き上げました。
「子が生まれた時にPendletonのブラッケットを贈り、結婚式では女性の身体にPendletonのショールを、男性にはPendletonのローブを掛けて祝います。」と著書『The Language of the Robe: American Indian Trade Blankets』に書かれております。
今日も、Pendletonブランケットは北米全土のアメリカ先住民族の間で重要な役割を果たしております。
1863年 創立者であり、英国人織職人であったトーマス・ケイが同州で2つ目となる毛織工場をブラウンズビルに編成すべくオレゴン州へ降り立つ
1876年 トーマス・ケイの娘であったファニーが小売業者であったC.P.ビショップと結婚。この結婚により製造業一家と商人一家の一大ファミリーが誕生し、アメリカの中でも最古のアパレル製造業であるPendleton Woolen Millsの開発と成長の種が撒かれる
1889年 トーマス・ケイが自信の毛織工場をオレゴン州セイラムに開業し、自身の生涯の夢を実現
1909年 ケイの孫にあたるビショップ家の息子達が稼働していないPendleton Woolen Millsを購入後にアップデートし、色鮮やかなパターンを施したアメリカ先住民交易ブランケットの製造を開始
1912年 ビショップ兄弟はその後、ワシントン州のワシューゴに2つ目となる生地工場を購入し、ファッショントレンドに合わせるべく、新たに軽量ウールを開発
1924年 伝説的なPendletonバージン・ウール・シャツがソリッド及びカラフルなパターンで市場へ投入される
1929年 Pendletonがメンズ・アパレルのフルラインアップを展開開始
1949年 Pendletonがレディース・アパレルのフルラインアップを展開開始
1960年 Pendletonが洗濯可能なウールを開発
1999年 伝説的なPendletonブランケットの90周年、メンズ・ウールシャツの75周年、そしてレディース・アパレルの50周年というPendletonにとって祝いの多い非常に重要な年
2016年 アメリカ先住民とのつながりを更に深めるべく、Pendleton商品が先住民の経営するライフスタイル・ブランドであるカナダのManitobah Mukluksより販売開始
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